2020-03-06 第201回国会 参議院 予算委員会 第8号
その上で、森法務大臣にお尋ねしたいことが二点ありまして、一つは、日本の国民の方々に対して、ウイルスは、もちろん当たり前ですけど、国籍と関係ありませんから、御自分でできる予防策をできれば平常心を抱いていただいて淡々と行っていただく。何かの理由で、中韓の方を見かけたとしても、決して誤解を生むようなことがないようにお互いに気を付けたいと思います。
その上で、森法務大臣にお尋ねしたいことが二点ありまして、一つは、日本の国民の方々に対して、ウイルスは、もちろん当たり前ですけど、国籍と関係ありませんから、御自分でできる予防策をできれば平常心を抱いていただいて淡々と行っていただく。何かの理由で、中韓の方を見かけたとしても、決して誤解を生むようなことがないようにお互いに気を付けたいと思います。
ただ、その一方で、性犯罪の被害者は、強い恐怖心に襲われていたり、戦慄によって平常心ではいられなかったりといった精神状態にあるということもございますので、こうした被害者の心情を十分に理解した上で丁寧に話を聞いていくということが捜査上重要であるというふうに考えております。
○山添拓君 これ、一件目でいうと、当事者が常に次の工程が意識の中にあって平常心を若干欠いた状況で作業に就いていたとあるんですけど、なぜ平常心を欠いていた状況にあったのかということについては報告はされていません。また、二件目は、後方監視できる状況になかったのに後退を実施したとありますが、なぜ後方監視できないのに後退したのか、その分析はされていないかと思うんですね。
リオ大会の重い裏話というか話をしておりましたけど、リオ大会のときに、決勝の相手はグルジアという国の選手で、そこの選手は金メダルを取ると一億円もらえる、そして自後の生活が保障されるという、それを聞いたので少し心が弱くなったということですが、もちろん試合には平常心で臨んで金メダルを取ったということでありますけれども。 日本のオリンピックの報奨金は、リオの前は、金メダル三百万、銀二百、銅百万でした。
そうなれば、その間、総理大臣はほかのことに手がつかないということになってしまうわけでございまして、そうなった後、なるべく平常心、平常の行動を心がけるということも職責の一つであろう。 辻元さんみたいなそういう批判の仕方というのもあるかもしれない。しかし、そういう批判に一々私は反論するつもりは全くないわけでありまして、今後ともしっかりと心身ともに健康を保っていきたい、このように思います。
受けとめられるだけの余裕というか平常心というものがないと、ついかっとしてしまったり、また、どうしたらいいかわからずにどなってしまう、そういった現象も起こってしまって、それはやはり教育の現場では本当はあってはいけない、そういったもののように私も思います。
こういう手が震えるような怒りであっても、具体的には、目の少し下、二センチぐらい下のつぼを五回ぐらい軽くたたいて、わきの下、十センチぐらい下のところを五回ぐらいたたいて、鎖骨下のつぼを五回ぐらいたたいて、これはストレスを消すTFTの手法なんですけれども、これを五回ぐらいやっていたら、何とか平常心に戻ってきたわけです。
そうじゃないので、やはりそれぞれ、私ども、日常生活というものはきっちりやっていく、その中の一部分をもちろん割く、しかし、やはり平常心を持ってこの国を運営していかなきゃいかぬ、これは私ども、今行政を預かる者としては大変大切なことではないかと思います。
平常心を失ったということです。その一瞬のすきを目掛けて、長い木刀を右と左の両手でしっかりと握り締めて、小次郎の頭目指して、脳天目指して打ち下ろした。鉢巻きが割れました。この一瞬で勝負は決まったということです。いかに情報が大事かということを言いたくて、ちょっと脱線をしてしまいました。
その意味では、中国の経済近代化も軍事近代化もまだ終わっていませんので、これからしばらくはまた増えていくことはあるではないかと、そこがやっぱり警戒しながら平常心で見ていくことがこれからの日中関係を考えていく上で大事ではないかと思います。
しかし、この数年の様々な社会的な議論の中で、五年ぐらい前と比べますと随分このような取組に対する意識が変わり、ある意味で平常心で考えるようになりつつあるというふうに言えるかと思います。 大学の知的戦略についてお問い合わせがございましたけれども、ちょっと私はまだそこまで準備ができておりません。
当委員会における審議でございますから、できるだけ静粛に、そして平常心で答弁できるようにお願いを申し上げたいと思います。 それでは、川口外務大臣。
私も大変遺憾に思いながら、また心配もしないわけではないわけでございますが、そういう中で、一カ月がたっていささか肩の力も抜けて平常心を恐らく回復されておられるんだろうというふうに私も思います。 そういう中で、現在、一カ月たっていろいろと経験を踏まれて、中国にもこの間行かれました。そういうことを踏まえて、現在の心境をまずお伺いしたいと思います。
○青山副大臣 馳委員と松浪委員に大きい声を出されますと答弁者は平常心を失いますので、ぜひひとつ穏やかにお願いしたいと思います。 まず、今お話しのとおり、昭和三年、陸軍が初めて建設した鉄筋コンクリートづくりの兵舎でございます。
そこで、二十二日、どう思うかというと、まことに生意気なことを言うのですが、二番せんじですから平常心で、別に驚きません。 もう一つあるのですが、私は年齢がはるかに高うございます。自分では五十歳と思っているのですが、書くときには七十一歳と書くのですね。四月二十日には七十二歳と書くのです。全くショックです。何をかもう望まん、自分があるすべてはこの職に尽くしていこう、こういうつもりであります。
平常心で、いつものとおり、普通にしていれば大丈夫という趣旨ではあるのですけれども、日本人で、ふだんからそういうタンク半分の燃料をちゃんと備えているような人はほとんどいないわけでありまして、どうも国民の危機意識が若干低い。
しかし、事柄の性質上、不確実性というものはやはり残るのでありまして、そこを冷静に受けとめて、平常心で、国家それぞれそういう不確実性に備える機能が期待されている部局もあるわけでありますから、そこがきちんと動いてこの問題を乗り越えていければいいのではないかというふうに思います。 以上の決意と提案をもちまして、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
マインドであるとか企業家のマインドであるとかというようなことを、たまたまそういう気持ちのところへ、金融の問題がございましたし、東南アジアのことがございましたから、大変だと思っていたことがいよいよ大変だということ、ここのところを、そうは言っても、そうなってしまったのでは国民経済というのはどうもならぬのだと、将来のためにもここはもう一遍、伸び伸びとやりましょうという言葉はおかしいのでございますけれども、平常心
その場で学校長は、我が校から残念ながら逮捕者が出たということは全く触れずに、平常心の重要さあるいは命の大切さをお説きになったと聞きました。直接現場で取材をした方からもそれは確認をしたわけであります。
校長先生も、早く平常心に戻るようにと。事態の中身や、そしてそのことについての議論がなくて、子供たちがどうして平常心が持てるのだろうか、動揺があって当たり前ではないのかというふうに思うのですね。そういう点はいかがですか。
そのときに校長先生の方から、平常心でという言葉が出たそうです。その平常心という言葉そのものを突き詰めていきますと、極めて、子供たち自身がこれはもう大声を出して叫びたい、あるいはもう泣きじゃくりたい、あるいはもう学校なんか行きたくない、あるいはもうだれの顔も見たくない、友達のだれもが信用できなくなった、まさか、いろいろな気持ちが交錯しているわけです。
本人だけではなくて、その周りの子供たちも、やきもちをやいて、平常心を失って興奮したり、いじめをしたり、そういうような現象が起こるほど、三歳、四歳、小さい子供たちの感受性というのは豊かでございます。